残念な誤解

インターネットで英語教材に関する資料を探していると、
しばしばディクテーションについてのネガティブなコメントを見ます。
人によって考えは様々なので、ネガティブなコメントをしてはいけないとは言いません。

このような方々はディクテーションをまとまった期間、実践したことがないだけなのでしょう。

だけど、こと教育者や英語教育サービス提供者からのネガティブなコメントは、残念の一言です。
「もっと勉強してください、恥ずかしいですよ」と、思わず言いたくなります。

残念なコメントには、
「時間がかかって大変、同じ時間でもっとたくさんヒアリングできる」
「一字一句 正確に書き写すことに意味はない」
と書いています。
うむ。ディクテーションそのものを理解していない、と思います。

たしかに同じ時間でヒアリングはできるでしょう。
また間違わないようにしようとするとそれはそれで大変でしょう。

例えば1時間ただ聞くことだけに集中ができますか、それができるのならだれも苦労はしないんです。
練習なので間違っても分からなくてもかまわない。その場で調べたり修正すればいいだけです。

ディクテーションは、集中の道具であり、実力を写す鏡と思えばいいです。
正確かどうかは自分の実力を測るバロメータにすぎないです。

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